奇跡の教育者「モリキン」インタビュー
教育とは「奇跡」ではない
問い:本日は貴重なお時間を頂戴し、有難うございます。森均先生、皆さんからはモリキンと呼ばれているということですので、私もモリキンと呼ばせていただきますが、よろしいですか。
モリキン:モリキンで結構です。こちらこそ、よろしくお願いします。
問い:モリキンの教え子だと自慢する皆さんが、ともかく多いことに驚きます。モリキンが教鞭を取られていた頃に直接薫陶を受けた生徒さんや、会計プロフェッショナルコースの教え子さんはもちろんのこと、「益田の森塾」という2泊3日のリフレッシュ研修の社会人受講者までもが、「モリキンの教え子です」と自慢しています。
モリキン:リップサービスで言ってくれているのでしょうが、ありがたいことです。確かに、私は教え子に恵まれてきました。巣立ったあとも手紙やメールを頻繁に送ってくれては、嬉しいことや悩んでいることを連絡してくれています。私もまだまだ頑張らなくては、と思うわけです。
問い:学校にいるときより卒業後のほうが長い。一生続く、まさに師弟関係ですね。経歴を、簡単にご確認させて頂きます。
昭和44年 | 岐阜県立益田高等学校商業科に赴任。山間の荒廃しきった商業科の立て直しに教師生命を賭ける決意。 |
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昭和48年 | 経理課が創設されると、その後、全国簿記大会で数々の優勝。 |
昭和56年 | 公認会計士二次試験に教え子が全国最年少合格(20歳)、同じく税理士試験にも教え子が全国最年少合格(19歳)。その後、11年連続で税理士試験全国最年少合格。 |
平成4年 | 46歳で益田高校を退職。社会人教育「益田の森塾」を開講。 |
平成18年 | 中部学院大学・中部学院大学短期大学部 経営情報学科に「会計プロフェッショナルコース」を新設。会計プロフェッショナルコースでも、税理士試験・公認会計士試験・司法試験の合格者を次々と輩出。 |
問い:外れたことのないこれらの偉業は、「奇跡の教育」と言われています。
モリキン:私の教え子たちには、16歳で公認会計士に合格したり、司法試験と公認会計士試験のダブルライセンスで合格したりした者もいて、確かにメディアでも大きく採り上げられています。しかし、小中学生で日商簿記検定2級に合格した教え子もいますし、美容院や料理人として腕を磨いている教え子たちもいます。一人ひとりに挫折と挑戦の物語があります。
問い:確かに、合格実績だけでモリキンの教育を語ることはできないと、教え子の皆さんも口を揃えて言われています。
モリキン:大切なことは、まず一人ひとり、自分がどの道で生きていくのか、その道一筋に勉強・修行し続けていることだと思うのです。ライセンスが必要な仕事であれば、ライセンスを取らなければならないでしょうし、自分の腕一本の仕事であれば、一生、技を磨き続けなければなりません。若いうちに、数学も国語も英語も体育も美術も、全てバランスよく学習するということも確かに大切かもしれませんが、社会に出てからは、どこの大学を出たかではなく、いかに一芸に秀でるか、その道を極めるか。そこに値打ちが生まれるのだと思います。
問い:一芸、つまり、プロフェッショナルを育てる、ということですね。
モリキン:一芸に秀でるということは、誰にでも必ずできることです。脇目もふらずに勉強し続ければ、誰でも必ず道を極めることができる。「奇跡の教育」と呼ばれることは、ありがたいことですが、それは分かり易くそう呼ばれているだけです。教育とは、そういうものではありません。誰もが持っている可能性を、現実のものにしていく。奇跡であってはいけないのです。全員を開花させてやらねばなりません。そのための方向付けをしてやるのが、教育だと思うのです。
プロフェッショナルとは、「夢とロマン」を持ち続ける人
問い:「可能性を現実のものにする」という言葉がありました。いまの学生さんの中には、自分が心底打ち込めるものが見つからないまま社会に出て、仕事を転々と変えているケースもあります。自分の仕事を天職と思えるかどうか。モリキンは、老若男女、様々な教え子の皆さんが持っている可能性を、どう引き出すのですか。
モリキン:私は教師を退任後、「益田の森塾」というリフレッシュ研修を開催してきました。多くの企業経営者や幹部・会計人の皆さんが、ときには親子連れで参加くださっているのですが、皆さん、「自分のふるさとができました」と言って、多忙な職場に帰っていかれます。絵を描いたり、沢登りをしたりして過ごすわけですが、足を滑らすような急流の中で、自然とお互いが協力しあうようになります。同じ目標に向かって、一人ひとり個性が出てきます。そういう個性を認めること。「あんたのこんなところに、いつもみんなが助けられているよ」、「こういう着眼は、過去何十年もなかった」、「これは、才能やな」などと、お互いに仲間の存在を認めていく。そういう中で、一人ひとりの可能性が開花していきます。大自然に囲まれた仲間の笑顔を見て、誰もがロマンということを感じるはずです。何十年も同じやり方をしてきて、一度もハズレはありませんでした。
問い:「益田の森塾」と、会計プロフェッショナルコースの教育とは、通じている、ということですね。
モリキン:会計プロフェッショナルコースの目的は、会計のプロフェッショナルを育てることです。プロフェッショナルとは、自分の選んだ道に「夢とロマン」を持ち続け、努力し続けることができる人です。一生この仕事で一流を目指していくぞという希望と情熱が、一人ひとりのやる気を突き動かすのです。そのような「夢とロマン」は、誰にでもあるのです。周囲と会話もせず、一人だけ黙々と机に向かって勉強していてはダメです。青臭い話をできる仲間がいたり、時には一流の先達の話を聞いて刺激されて、気づいていくのです。ライセンスだけで仕事はできません。同じ目標に向かって一緒に勉強したという仲間がある。このことこそが、人生において大きな財産になるのです。そのような場づくり、やる気づくりをすることが、私の役割です。簿記や税法を教えることさえ、しません。そんなことは、受験生である教え子の皆さんのほうが、はるかに詳しい(笑)。
自らにスイッチオンする「リズム」
問い:森均先生の教育メソッドの本質は、簿記や税法を教えない。松下村塾や適塾のような、ロマンの教育・人間教育にあるような気がしてきました。しかし、国家試験合格者を次々と輩出しているという事実があります。教え子の皆さんも、合格して社会に出ることを一つの目標にして集っておられます。会計プロフェッショナルコースに入学すれば、必ず合格できるのか。それについては、どう思われますか。
モリキン:試験に合格したいと思って会計プロフェッショナルコースに入学した以上は、試験に合格しなければなりません。そして、誰でも必ず合格できると、私は確信しています。2,3年で合格する子もいれば、何年かかかる人もあるでしょう。実務経験がすでにあって税理士試験を目指しているのに、まずは簿記検定から受験させるケースもあります。一人ひとり、山の登り方は違うのです。もちろん、若ければ若いほど、脇目も振らずに集中できる。合格できる可能性はぐんと高まります。大切なことは、よき仲間を持つこと。朝6:00から教室で勉強している仲間を見て、やる気を燃え立たせるのです。
問い:会計プロフェッショナルコースは、朝礼でストレッチをすることも特徴的ですね。
モリキン:誰にでも夢とロマンはあります。それを現実にするためには、「リズム」が必要です。自分にスイッチオンする「習慣」、今風に言えば「ルーティーン」です。私も朝晩欠かさず、ジョギングを1時間ずつしています。身体を動かして、勉強に没頭するリズムをつくる。全国で講演活動にお招きいただくことも少なくありませんが、お食事の誘いを断って、その日のうちに失礼したりしています。会計プロフェッショナルコースの朝礼があるからです。朝の30分、自分にネジを巻くことで、教え子たちは1日中、脇目も振らずに勉強に没頭するのです。
問い:全国から、学校見学や朝礼体験で訪問される方があると聞きます。実際に見てみて体験してみると、やはり実感が涌くものですか。
モリキン:親御さんの判断ももちろんありますが、実際に入学するのは生徒さんなわけです。先輩たちの勉強している雰囲気を見て、自分がここで勉強したいと思えるかどうかが、重要です。門戸は常に開かれています。いろいろな年代の、いろいろな方が集まっています。ぜひ一度、教え子の皆さんのキラキラした瞳や笑顔を見にきてくださればと思います。
問い:本日は、まことに有難うございました。
モリキン・プロフィール
昭和20年、4人兄弟の3番目(次男)として誕生。物心つくころに父は亡くなり、想像を絶する貧乏な少年期を送る。中学生時代、学校にいる何時間かは貧乏に追いかけられてこない。学級委員に選ばれたりして充実した生活を送っていたが、好きな国語の信頼する教師から自作の句を盗作だと決め付けられ、皆の前で侮辱・罵倒される。これが、教師という職に強い反感を持つきっかけになる。
名古屋商科大学専攻科卒業後、就職先について悩んでいたところ、友人から「お前のような性分は教師に向いている」と言われ、最も嫌っていた高校の教師という職に対してメラメラと使命感が芽生えてきた。昭和44年、岐阜県立益田高等学校商業科に赴任。普通科4クラスに対して、商業科4クラスは偏見の目で見られており、生徒たちにも無気力、無関心、無感動の三無主義が蔓延り、手をつけられない状態。孤軍奮闘し走り回ったが、周囲の先生から白い目で見られ、足を引っ張られる毎日。
昭和48年4月に経理科が創設され、担当教師に指名される。一クラス45名、1~3学年135名。教師が生徒に対して教えなければならないことは、専門課程の学習だけでは駄目で、それ以前に一人ひとりの生徒が、将来に夢を持ち、ヤル気を燃え上がらせる動機づけが最も大切であるとの方針の下、税理士・公認会計士を高校時代から目指す教育を公立高校の中に取り入れる。
生徒に自信をつけさせるために、全国簿記大会に参加して著名な大学校の生徒と競い上位入賞できる取り組みを始める。普通の商業高校で学ぶ学習は1学年で修了してしまい、実務的な資格取得の取り組みを2学年目から取り組ませる。それはスパルタのガリ勉教育ではなく、地元のリンゴ園農家からリンゴ園を借りてその運営を生徒と一緒に始めるなど、独特な教育法。
山間辺地の職業学科で、全国簿記大会連続優勝や税理士・公認会計士試験全国最年少合格の輩出など全国的に注目されるようになり、「やればできる森式教育法」で全国から講演依頼が殺到。1992(平成4)年3月、47歳で益田高校を退職、社会人教育「益田の森塾」を開講。2006年(平成18)年4月より中部学院大学・中部学院大学短期大学部 経営情報学科に「会計プロフェッショナルコース」を新設。